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おとうさん 3


彼氏に、この話題はちょっとどうなんだと言われた。
個人的には、ここに吐露することで客観的にとらえることができて、気持ちの整理にもなっているのだけど、納得できるところまで書いたら後は、おとうさんに関する記事は下げます。


おとうさんが精神科の病院に入院することになった。

父の入院に伴い、私と祖母が医者の注意を聞いた。
これは、父の意思による任意の入院であること。
今後父が服用する事になる薬を飲み始めると、お酒は飲めなくなること。
お酒を飲むと、体に危険が及ぶこと。
この入院に拘束性はなく、患者は自由に外に出て行くことができること。ただし、それで外出した際にお酒を口にしてしまったら、父に治療する意志がないとされ、入院は取消しになってしまうこと。
たしか、そのようなことだった。
父がもし暴れるようなことがあれば、拘束させていただきます、という同意書に私と祖母がサインをして、医師との話が終わった。


父の入院に必要なものを、父と二人で買出しに行った。
そのついでに、父は趣味のアマチュア無線の仲間に挨拶するというので、そっちに立ち寄ったりもした。

私は父を助けたいと思っていた。
出来ることなら、母にも父を許してほしいと思っていた。

しかし、その私の気持ちは、父によって踏みにじられた。

父は、買出しの時に、酒を飲ませてくれと言い出した。
これから飲めなくなるのだから、最後に飲ませてくれと。
私は当然怒った。そんなことをしてしまえば元の木阿弥だ。なんのために入院するのかわかっているのか。そういって父を諭す私に、父はこう言った。
「お前も、母親と同じ事を言うんだな」
私は、頭が真っ白になった。とにかくダメだと言い放って、買い物をしていた私の目を盗み、父はビールを一缶買って飲んでいた。
いつのまに、父はこんなにダメな人間になっていたんだろう。
私は泣きながら、父の手にしていた酒を取り上げ、中身を飲み干して、そのまま車で家路についた。
事故に合って、このまま二人で死んでも構わないと思った。むしろ、父を殺してやると思っていた。
幸か不幸か、警察に捕まることもなく、事故に合うこともなかった。絶望した。

それからはもう、父を助けようなどとは微塵も思わなくなった。

父は数週間~一ヶ月程度で退院になった。
完治するはずもなく、治療する意志がないと見られた強制退院…つまり、入院中の飲酒。
何かの用事で実家に行った時、父は普通に私に声をかけた。
「ラーメン食いにいかないか?」
「行かない」
情けないけど、それが私と父の最後の会話。
父は、入院中に知り合った男性と何でも屋を始めると言い出した。そのプランの中には、既に社会人になっている私と兄まで参加することにされていた。

父の死の連絡を受けたのは、そんな、父への怒りがおさまらない中でのことだった。
父は微塵も自分が死ぬと思っていなかったのだろう。日中には車を車検に出していた。
本人が亡くなったから車検を止めてくれと言われた整備会社もびっくりしたことだろう。


未だに、父の死には胸にわだかまりが残っている。
明るく振舞う私の家族にもそれは重い影を残した。
父のようになりたくないと、酒も煙草も口にしない兄たち。
息子に先立たれた祖母は、母を人殺しと責めたこともあった。
それでも母は、子どもに先立たれた祖父母をほっとけずに、また実家に戻って暮らすようになった。
そして、私は父が廃人になっていた部屋で暮らし、一時はとても強い煙草を吸っていたものの、彼氏との付き合いの中で徐々にやめることができた。
私たち家族は心の弱さに支配された時、必ず父の姿を思い出す。
反面教師といえばそうかもしれない。ただ、できることなら私は、父に普通の父であって欲しかった。


ただ、こうして当時を思い出しながら指を動かすことで思うのは、
当時父を許せなかったのも、また私の弱さだったのかもしれない。
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